瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日、京都市内の病院で亡くなっていたことがわかりました。
瀬戸内寂聴さんは、2021年のはじめごろに自分の死期を悟っていたようなのです。
原子力発電原所の恐ろしさも、東北震災のずっと前から予言していたことがわかりました。
瀬戸内寂聴は自分の死期もわかっていた?
瀬戸内寂聴さんは2021年10月に体調不良で入院し、そのまま京都市内の病院で、2021年11月9日に心不全のためお亡くなりになりました。99歳でした。
2021年に入ってすぐの頃、瀬戸内寂聴さんは週刊朝日の連載で、「私はたぶん、今年死ぬ」と話していたことがわかりました。
2021年8月の瀬戸内寂聴さんです。
マスクを頭の上にかけており、なんだか可愛らしいですよね。
お顔もふっくらしており、元気そうなお姿を見せていました。
2021年9月には、秘書の瀬尾まなほさんの息子さんと仲良くお好み焼きを食べている瀬戸内寂聴さんの写真がインスタグラムにアップされていました。
2021年8月の画像より、少し痩せたように見えますね。
10月には一旦体調がよくなったそうですが、その後瀬戸内寂聴さんが風邪を引いてしまいまた体調が悪化し入院という流れになったそうです。
瀬戸内寂聴は原発の恐ろしさを予言していた!
瀬戸内寂聴さんは、阪神大震災後、毎日新聞のインタビューで原発の恐ろしさについてこのように語っていました。
(阪神大震災後、復興に向けて大事なことは)まず行動です。
それからぜひ考えたいのは原子力発電所の恐ろしさです。あれだけ大丈夫と言っていた高速道路がズタズタになったのに、なぜ原発が大丈夫なのですか。人間のすることに絶対安全ということはないのです。人間の知識の限界はしれています。
引用:毎日新聞
2011年3月11日に東日本大震災で起きた津波に襲われた福島第一原子力発電所での原発事故は、周辺一帯の住民避難は長期化し、大量の放射性物質の漏洩など深刻な問題が発生する最悪な事故となりました。
震災関連死は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」が大半を占めていたようです。
瀬戸内寂聴さんは、この原発の恐ろしさを、阪神淡路大震災後に警鈴を鳴らしていたのです。
ネットの反応は?
まとめ
2021年11月9日、瀬戸内寂聴さんが99歳でお亡くなりになりました。
瀬戸内寂聴さんは、2021年のはじめごろに自分の死期を悟っており、原子力発電原所の恐ろしさについても、東北震災のずっと前から予言していたんですね。
いつも超人的に元気だったという瀬戸内寂聴さん。
あの笑顔とお話が聞けなくなるのはとても淋しいですね。
ご冥福をお祈りします。